秀れた打楽器奏者になるために

第4回 音に対する感性を磨こう!

2017年09月05日 更新

他の楽器奏者以上に音に対する広い視野を持とう!

「良い音を奏でる!どのように音を表現するか?」音楽を志す人なら誰もが持つ願望です。そして自分の演奏する楽器を愛すれば愛するほど、その探究心は旺盛になって行きます。実際、音楽はその「音」に素晴らしさの全てが内在するわけで、その音に感性が欠けていれば、どんなに偉大な作曲家の作品であっても無感動なものになってしまいます。

何と残念なことではありませんか!

さて、今回取り上げている打楽器で「良い音を奏でる!どのように音を表現するか?」。

これもまた一筋縄ではいかないテーマなのです。なぜかと言えば、打楽器において「何が良い音とされるか」は、その時の音楽の様相によって大きく変化するものですし、打楽器の多くが非音楽的な音(いわゆる雑音)を出すものが楽器として用いられるケースが多いからなのです。
しかしそうであったとしても、打楽器で音楽的なアプローチを試みようとするなら、「非音楽的な素材で、どのように究極の音楽表現に到達し得るか」を様々な角度から考察してみる必要があります。

打楽器奏者は他の楽器の演奏者と異なり、いろいろな楽器を演奏しなければなりません。

管楽器奏者も持ち変えて何種類かの楽器を演奏することがありますが、大抵は音域が変わるとかで、演奏に際して多少異なった点を把握してこなして行けるのかもしれませんが、打楽器は全く違った楽器を何種類も演奏しなくてはならないところが、打楽器奏者の偉いところなのです!

ですから、打楽器奏者には管や弦楽器の人以上に音に対する広い視野が必要で、持ち前の柔軟で鋭敏な感覚で、演奏上の場面場面で何が求められているかを感じ取らなければなりません。

という訳で、打楽器奏者は「音に対する感性を磨く」必要があります。

「もっと音楽的に処理できないのか!」「うるさい!」などという罵倒にも似た言葉が叫ばれたり、ささやかれたり、打楽器奏者はそんな時でも辛抱強くじっと耐えつつ、何をすべきなのかを考えるわけですが、これもまた打楽器奏者でなければ経験することのできない味わい深い経験なのでしょう。

まあ何しろ、すぐにでも音楽を破壊してしまう危険な凶器に早変わりする打楽器を手にしているわけですから...。

それでも打楽器奏者は音楽を演出するためにひた向きに一生懸命情熱を注いでいるわけで、私は「打楽器奏者こそ普遍の音楽家である!」と声を大にして叫びたいし、一人一人がそういう自覚を持って「音楽家としての感性を磨いて欲しい!」と思います。

オーケストラや吹奏楽における打楽器の使用例を思い浮かべてみることにしましょうか。そうすると、曲のクライマックスの部分を打楽器の衝撃的な登場によって演出しようとするケースが多いことに気づきます。そのような手段を用いることによって作曲家は音楽の頂点を確実に印象付けることができるからです。そのような場合、打楽器奏者は入るべき所にきちんと入ったことで自分の責任を果たし、 目的が達成されたかのような錯覚に陥りやすくなります。

しかし秀れた打楽器奏者でありたいと思うのであれば、このような時こそ洞察力を働かせて欲しいのです。

作曲者や指揮者は楽曲の構造に関しては卓越しているかもしれませんが、彼等はあくまでも曲の全体を見ているのであって、あるべき所に打楽器が鳴っていることで納得しているだけかもしれないのです。

ですから打楽器奏者は、たとえ自分の演奏に関して何も言われることがなかったとしても、自分に厳しく、感性を働かせて、どんな音が必要とされているのかを見極めて、究極の表現をして欲しいのです。

当然のこと、奏者自身がやはり他の誰よりも自分の楽器に対する愛情と責任を強く認識しているはずなのですから...!!

Don’t you think so !??


感情を表現している音楽から学ぶ

打楽器の演奏に携わりたいのであれば、単なるプレイヤーとしてではなく、音楽家として評価されるような人材になるという高い目標を持っていただきたいと思います。今日、打楽器はあらゆるジャンルで重要な地位を占めるようになったことは喜ぶべきことです。
しかし、このコンピュータ社会ということもあって、音楽も人間が本来持つ感性をあまり必要としない傾向が至る所にありますから、自分の感情を音に表現することに対して無感覚になりやすくなります。

こうした社会環境の中にあって、音楽家としての自分を育てるために本来の人間的感性を取り戻す努力をすべきではないでしょうか!!

ここで自分のことを引き合いに出して申し訳ないのですが、私のフランスでのオーケストラ経験を通じて学んだ表現力は、シンフォニーなどのメカニズムがわりあい強調される音楽表現よりも、むしろオペラのようなリリカルな芸術作品の演奏を通して得たものです。なぜかと言えば、オペラの場合にはシンフォニーの場合以上に打楽器の用いられ方が多岐に渡っていてリズム楽器としても、効果音としても、様々な劇的な登場の仕方をします。

それは単にクライマックスを飾る道具としてではなく、時には舞台上での登場人物の心の揺れ動く感情の変化を描写する役割を担うことがあります。スリルたっぷりな愛の場面、あるいは、残酷ですが、自殺の場面、銃殺執行場面、首を切られる場面、そこには人間の極限の感情表現があります。

あなたはそのようなことを意識して音を出すという経験がありますか?

オペラは表現の幅もはるかに大きいですし、歌い手と同様にリリカルに表現することが求められます。そこには打楽器の音楽表現の真髄があります。

これを読んで下さる、秀れた打楽器奏者になることを目指しておられる方々にはシンフォニーや様々な管弦楽作品からだけでなく、偉大なオペラ作品からも多くの表現を学び取っていただきたいと思います。

感情を表現する練習をしよう。

あなたは楽譜の音をきちんとテンポで演奏できるだけでなく、 それを様々な感情を盛り込んで演奏する練習をしていますか?楽しい気持ちで、 寂しい気持ちで、憂うつな気持ちで、あるいは優雅に、荘厳に、厳格に、さらには暖かく、 優しく、愛情豊かに、等、音色については考えていますか?明るい、暗い、淡い、 音の濃淡を表現できるようになりましょう。

自分の出す音の色彩を感じて演奏するのも表現の幅を広げる勉強になります。

あなたは声楽家に知り合いがいますか?声楽家は歌詞を歌って音楽を表現します。つまり彼等が表現する音楽は感情の直接表現なのです。 そして彼等自身皆、本当に感情豊かです。喜ぶこと,悲しいこと、美しいことに敏感です。 彼らの生活がすでに音楽と直結しています。

私たち打楽器奏者もその点大いに学ぶべき所があると思います。

じっとたたず佇んで考えよう!

フランスに住んで実感したことなのですが、日本人は海外で何か芸術的な建造物を見ると、すぐにカメラで写真を撮ります。自分のカメラに画像を収めると、もうそれで満足して次の物に目を移してしまいます。

ところがヨーロッパの人々は目でまずじっと眺めます。その建造物に関して様々な事柄を思い巡らしているのかもしれません。 建築された時代のことや、制作者のことや時代背景かもしれないですし、 歴史の重みを感じ取っているのかもしれません。

彼等がどこまで深く考えているかは分かりませんが、いずれにしても、じっとその場に佇むことでよく味わい、そこから何かを学び取っている光景をしばしば見受けます。

近年、日本人の国際コンクールでの活躍が目立ちますが、それは技術面で秀でている証拠で、このことは素直に喜ぶことができます。しかしそれが何なのでしょう! 究極の音楽表現は技術だけではなく、内面から湧き出てくるものが必要なのではありませんか!

ですから、音と向き合い、自分は書かれた音から何を感じるのか、どのように感じたものを表現できるのかを考えてください。 では秀れた打楽器奏者であるために、音に対する感性を磨いて表現を深みのあるものにしていきましょう!